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僕はあしかけ12年ほど、ある薬局でアルバイトをしている。もはや正社員といっても差し支えないくらいだ。小さな地域の薬局というたたずまいで、調剤および一般薬と雑貨の販売を行っている。ドラッグストアとは随分おもむきが違う。

そういう薬局なので、主に常連のお客さんによって成り立っている。薬局だけに、お年寄りばかりだ。そんな人たちからすると、自分は孫のようなものらしく、いろいろとかわいがってもらっている。

その常連さんの1人に、Fさんというばあさまがいる。ばあさまといっても、足腰が弱っているわけでもなく、割合に元気だ。元気だけれど、心配性なので、しょっちゅう近所の病院に通っては、処方箋をもってくる。

Fさんは、ことのほか自分のことをかわいがってくれていて、それはFさんが一人身で、かつさびしがりやであるからなのだけれど、そのかわいがりかたが素直じゃなくて、いつもひとこと文句をいいながらなんやかやと食べ物をもってきてくれて、それを孫のように自分はよろこんでいただくという関係にある。

そのFさんが、去年の11月の末ごろに、一枚の写真をもってきた。写真には、20年ほど前のFさんが、お母さんといっしょにおさまっていた。

Fさんによると、お母さんの写真として残っているのは、その1枚だけなのだという。そしてFさんは僕に、このお母さんの部分だけを拡大して、一枚の写真にできないかと頼んできた。このところしきりにお母さんのことが思い出されてしょうがないので、写真たてにいれて毎日拝みたいのだと。

写真をスキャンして、加工ソフトでトリミングし、色調を調整したうえで拡大してあげればすぐできるなと思い、とりあえず引き受けたのだけれど、ちょうど沖縄にいく前で落ち着いた時間がなく、というかはっきりいえばめんどくさかったので、しばらく放置しておいた。

でも、やはり年内にはやらないとなと思い、年末に小一時間かけて、写真L判大の大きさの胸像に仕上げ、Fさんに手渡した。

Fさんはたいそう喜んでくれた。さっそく仏壇に飾ってくれているようだ。きっとその写真は、Fさんが亡くなるまで、ずっと飾られているのだろう。そして毎朝毎晩、拝まれるのだろう。そういう写真にたずさわることができたことを、自分としてもうれしく思う。