今回の調査をおえて

本日7時10分、沖縄から帰ってまいりました。その3時間前まで那覇でカクテルを飲んでいたなんて、なんとも信じがたい。つきあってくれたFさん、Yさん、どうもありがとう。心の底から楽しい時間でした、ホントに。


まあしかし、楽しかったのは飲んでいるときくらいのものでして、辺野古での聞き取りは、研究者としてはひじょうに得るものが多かったのですが、そこで語られていた内容を思い返すに、なんともつらいものがありました。


いままさにいろいろと動いている事例ですので詳しいことはかけませんが、自分の本心を押し隠さざるを得ない状況が、住民どうしの対立を引き起こしていく過程はひじょうにつらいものがあります。住民が、ある程度、本音で話し合うことができれば、地域にうまれた溝の幅はもう少し狭まるだろうし、一部の人たちが、地域住民の承諾および承認を得ないままに、地域の行く末を決めていくようなこともできなくなるのではないかと思います。


そして、こうした状況をもたらした原因が、辺野古のような小さな集落に、米軍基地問題というあまりに大きな問題を押し付けたことによって生じているのだということを、決して忘れてはならないと思います。この問題は、辺野古には身に余る問題なのです。


あともう1つ。この問題について少々くわしく知っている方の多くは、土建業者が振興策や建設に伴う仕事に期待して基地を受け入れようとしているという認識をもっているのではないかと思います。それは確かにその通りです。ですが、そこで儲けているのは、ごく一部の人たちだけであり、土建業に携わっている人たちの多くは、かなり厳しい状況にあるということを知っておいてほしいと思います。不本意ながら基地の受け入れを容認しているかれらは、それでも暮らし向きはよくならず、先の見通しをたてることもできずにいるのです。


そんな辺野古にも、まったく希望の光がみえなかったわけではありません。もう一度この問題について真剣に考えなければならないという意識をもっている住民は、少しずつ増えていました。かれらがまたくじけてしまうことのないよう、自分にできることは何か、考えていかなければならないと改めて思った今回の調査でした。