自らをニートと語ることについて
後輩が卒論で、若者が自分のことを「おれ、ニートだから」などと語る、
いわゆる「ニート語り」について調べているのに触発されて。
僕自身の感覚としては、「ニート語り」は、
不安を先取りすることで将来への不安から逃れようとする行為なのかなという気がしています。
今はニートじゃないけど、将来はニートになるかもしれないという漠然とした不安。
高失業率・終身雇用の崩壊・リストラの横行といった、マスコミが流す時代の現実と暗いイメージが、そうした不安を高めているなかで、
将来に具体的な希望を抱いたとしてもその希望がかなわない可能性の方が相対的に高くなった時代にあって、
敢えて将来なりたくない存在としての「ニート」として自己を語ることで、
いま自分がニートではないことを確認する、そういう感じ。